◆坐禅
坐禅をはじめると、風の音、遠くの物音などそれまで気づいていなかった音が聞こえる。この元々の姿を感じるのがスタート。
続けるうちに五官が鋭敏になってくる。空気の味、水の味がわかるようになる。自分という存在が透明になっていく感じがする。まわりの空気と一体化して、風、雨の音、鳥、蝉の声などがスーッと身体のなかを通り抜けいくような感覚を覚える。
坐禅で集中するには、数息観(すそくかん)という方法がある。吐く息を数えることで雑念を払う。十まで数えたらまた一から数える。試しにやってみた。十まで数えられなかった。何度やってもできなかった。自分はよほど集中力がない。
◆空(くう)の目
人はものを見ると、「これは○○だ」と名前を確認し、「これは△△ということだ」と、既存の概念を想起する。良い・悪い、役立つ・役立たない、などの感想、評価が生まれる。それが苦しみを生む原因となる。
評価なしに、在るものをそのままに観る、受けとめよと「般若心経」は教えている。自分が見る、自分が思う、ということをやめて、空の目で見る。そのためには、時間をかけてよく見る。
この世界は、人の目を通して眺めた世界ということを自覚する。空の目で世の中を観れば、病気になったり、老いたり、死んだり、という事態はあるけれども、そこから生まれる「苦」というものはなくなる。ただ病い・老い・死という現象があるだけだ。
◆一心にやる
修行道場の生活は何百年も昔のままである。坐禅だけでなく掃除、調理、畑仕事、伽藍の整備などの作務を行う。
一心にやることが作務の心得。雑巾がけのときは雑巾がけ、畑仕事のときはそうするだけに集中し、なりきるのが作務の極意。余計なことは考えない。
食事は食べるのではなく、米野菜などの命を「いただく」という心構えで行う。食事作りも食事作法も修行である。修行は僧堂の中だけではなく、どこもかしこも修行道場である。
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