<もともと仏教と葬式は関係がない>
◆寺院離れ
現代の葬式は葬儀社が中心となって住職はお経の読み上げで終わる形式イベントに見える。日本の葬式は世界一高い。死後戒名があるのは日本だけで、格差があり高額であるが、仏典に戒名の根拠はない。
葬式をせずに火葬だけで済ませてしまう「直葬」が増え、都心部では30%前後になっている。
核家族が進行し墓を継承できなくなったり、墓を邪魔だと思う人も増えてきた。「永代供養墓」が増えており、寺側が供養し墓参する必要がない合葬墓である。
寺院は本来の、悩み苦しんでいる人々の救済から遠ざかっている。葬儀・法事のときだけ読経に来る業者のようである。本来の役割を果たしていないのに、税法上の優遇がある。
◆徳川幕府の陰謀
戦国時代から権力者は、大寺院の僧兵、一向一揆の抵抗、キリシタンの反乱などに悩まされた。宗教エネルギーを削ぐ政策が重要になり、民衆から「宗教心をなくしていく」方策をとった。
寺院は幕府の行政機関となった。檀家制度によって信者が確保され、競争相手のキリスト教も排除してもらった。
仏教の基本立場は現世利益を否定するものであったが、葬儀や供養という習俗を毎年くり返すことで、民衆も僧侶も本来の宗教心を失っていった。
◆寺院ビジネスモデルは400年前から
寺院は布教よりも檀家から布施収入を増やすことにした。仏教伝来以前から存在した先祖崇拝を利用した追善供養の行事化をした。回忌を増加した。
死後、業の結果により六道(地獄・畜生・人間・天など)のどこかに生まれ変わる。死者がよいところに行けるように供養するのが四十九日法要である。そこで決着がつくはずなので、一周忌、七周忌などは必要がない。
大乗仏教の日本では浄土におもむくので四十九日法要自体が矛盾している。
そもそも仏教は、苦しみ自体を取り除くのではなく、苦しみに「こだわっている」ことをなくそうとする。発想の転換による心の平安を求めるのである。
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