「死ぬ練習」南直哉

「死ぬ練習」南直哉 宝島社 2020年
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 死ぬ練習とは、「自分を大切にしないこと」?

◆3歳から死に囚われる

 著者は幼少の頃から死に向かい合ってきた。3歳の頃から小児喘息で苦しむ。水の中に頭から沈められたようになり、完全に呼吸が止められ目の前が真っ赤になる絶息状態の発作に一晩中、繰り返し襲われる体験をしてきた。苦しさの次に起こる「死」とはどうゆうことか知りたかった。

 その動機もあってか、会社員生活を経てから永平寺で20年修行し、あの世に最も近い場所と言われている青森県の恐山の住職代理を務めるようになった。

◆放下(ほうげ)

 人は誰しも、死ぬことに恐怖や不安がある。どうすれば恐怖や不安を無くせるか、和らげられないかと思う。仏教の方法では、恐怖・不安だと思う「自分」を解体しようとする「放下」と言うやり方がある。

◆「自分を大切にしない」法

 死の苦痛や困難を取り除くのではなく、それを感じる自己を解体する。個々の苦痛を除去しても切りがない。大本の苦しむ「自己」を消去する。苦しむ者が居なくなるんだから、苦しみも消えてしまう訳である。

「放下」の方法とは、「自分を大切にしない」ことでもある。自分を自分から放り投げる。
*自分ではなく、他者を先に立てて生きていくこと。
*自分と他者に共通する問題に取り組んでいくことである。

◆3つの方法

①損得を考えない
②褒められようと思わない
③そのことで、友達を作ろうと思わない

 損得、褒められること、友達作り、は思い通りにしたいという所有の欲望が作動している。これらへの執着は、自身が存在することに根拠がある。それ自体で存在しているという錯覚を強化する。自分を大切にしないとは、この錯覚を解毒すること。無我、無常の教えに通じる。

◆自己を消す

 座禅は自意識を変容させ、従来の自己という存在の仕方を解体していく。道元禅師の言う「自己を忘れる」座禅の力。死に向かっていく自己を開く方法として、座禅は使える。自己の解体である座禅を修行するとは、死の練習である。

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